BLOG

戦後70年をおもいテニアン島にゆく

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

戦後70年を迎えました
そして皆様
テニアン島って知ってますか?

サイパンの南に寄り添う島です
サイパンからは4キロほどしか離れていないのですが、現在は高速フェリーも無くなりサイパン国際空港から軽飛行機(6人乗りと9人乗り?)が出ているだけ
ダイバーには有名な北マリアナ地域はサイパン、テニアン、ロタ、グアムと昔日本のが統治していて太平洋戦争では日米が激戦を繰り広げた場所です。

で、何が有名かというと広島長崎の原爆を積んだB29の発進した島と言う事です。

一番重要な日本人として覚えておかなければならない昭和20年8月6日に広島にウラン型原爆リトルボーイ

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

(模型です)
を落としたエノラゲイ

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

8月9日にプルトニウム型原爆(ファットマン)

を落としたボックスカーの二機のB29はテニアン島のノースフィールドといわれる滑走路から飛び立ちに日本にやってきたのです

ちなみに終戦記念日は昭和20年8月15日ですが、この3日を応えられない日本人が多くなってきているそうです

B29は約4000機が製造され700機あまりが損失していてそのうちの400機あまりが戦闘による損失なんだそうです。当たらない落とせないといわれながらも日本軍の高射砲や迎撃戦闘機は一定の成果は上げていたようです

しかしながら、なんと言ってもものすごい機数が飛来したのと次第に反撃する兵器を失った日本はなすすべもなかったのかもしれません

B29と言う爆撃機は日本を攻撃するための専門の機体でした。与圧したキャビンを持ち高高度でも性能の落ちないターボを備えたエンジンは最新鋭の物でした。ヨーロッパではB17が主力になっていました。どちらも製造はボーイング社で有ったようですがBはボーイングではなくBomber(爆撃機)のBです。米軍は戦闘機にはFighterのF(F15とかF14)、攻撃機にはAttackerのA、輸送機にはCargoのC、対潜哨戒機はPatrolのPを頭文字につけています。

余談ですが

A:攻撃機 (Attack)
C:輸送機 (Transport)
D:無人航空機管制機 (Director)
E:電子戦機 (Special Electronic Installation)
F:戦闘機 (Fighter)
H:捜索救難機 (Search and Rescue/Medevac)
K:空中給油機 (tanKer)
L:寒冷地仕様 (Cold Weather)
M:多目的機 (Multi-Mission)
O:観測機 (Observation)
P:哨戒機 (Patrol) 海上を哨戒する機体。
Q:無人航空機(ドローン)(Drone)
R:偵察機 (Reconnaissance)
S:対潜機 (Antisubmarine)
T:練習機 (Trainer)
U:汎用機 (Utility)
V:要人輸送機 (Staff)
W:気象観測機 (Weather)

前回、サイパンを訪れたときサイパン国際空港に着陸する寸前に4本の大きな滑走路が見えたのですが、それがテニアン島のノースフィールドでした

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

テニアンには現テニアン国際空港(とはいうものの管制塔も税関もなく国際線は発着してない)のあるウエストフィールドにも滑走路があり、日々日本に向けてB29が発進していたようです。当時の写真を見ると、滑走路脇に所狭しと大きなB29が並んでいたようです。

テニアン観光で大戦前の日本当時時代の遺跡をみました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

サトウキビや鰹節を生産して大変栄えていたとのことです。サイパンにはシュガーキングパークという公園もあります。

そして、一番見たかったノースフィールドのランウェイエーブル(RunweyA)滑走路A

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

2650mの滑走路は先端が見えない

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

という意味です。並んでB,C,Dと4本ウエストフィールドの滑走路脇にも古いランウエイの跡が草木に覆われかけながら残っています。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

原爆搭載ピット
原爆が大きすぎて普通の積載車でB29の爆撃倉に積込めなかったので、予めピットの中に原爆を収めてB29をその上に移動し、油圧ジャッキで爆弾倉に入れたそうです。丸い孔は油圧のシリンダーが取付けられていた跡だそうです

こんな国力のアメリカには勝てるはずがないと感じました

当時の日本は戦闘機は宝物、パイロットは消耗品、だからゼロ戦にはろくな防弾装備も有りませんでした。米軍は物は代わりがあり人が一番の財産と考え、人的損耗を極力抑える努力をしていました。結果、何度も撃墜されたパイロットがいて落とされるたびに技術が上がり、最後は日本の戦闘機を打ち負かしていったのです。その話が、百田直樹さんの「永遠のゼロ」に描かれています。精神論で一番大切な人の命を多く無駄にしてしまった。あれを繰り返してはなりません。

安全保障法制が変更され是非が問われていますが、安保とか国際情勢とか自衛隊はどんな仕組みなのか国民はもっと興味を持つべきだと常々感じております。

テニアンもサイパンもすばらしい南国の楽園で有りました

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

どこまでも青い空、白い雲、青く輝く海にエメラルドグリーンのリーフ
平和は大切です。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

スーサイドクリフに立つ慰霊碑

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

まさに南国の楽園です

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事一覧

カテゴリー一覧